先月、第二子(長女)が生まれました。

「第一子 男の子の次は女の子がいい」と願っていたら、
見事、女の子が生まれてくれました。

第一子から計算したら、父ちゃん、「人生の4分の1の確率」を引いたことになりますね。

父ちゃん、人生の“ここぞ”という大きなことに対しては、とても運が良いのです。

長女誕生

あの赤ちゃんだった長男も、いつしかお兄ちゃん。

・・・

君たちが大きくなって、幼稚園に行って、小学校に行って、中学校に行って・・・、
その先、高校、大学、社会人…になっていくと思うけど、

もし、その途中で、父ちゃんのように「勉強なんて大嫌い」と思うようになれば、

父ちゃんは、「それなら、勉強なんてしなくていいよ。好きなことをやってみな」
と本音で言うと思います。

ただし、それに付け加えて、
「でも、“本当の勉強”ってなんだと思う?
もしかしたら、勉強というものに対して勘違いはしていないかい?」
と聞いてみるでしょう。

一般的に“勉強”というと、

小学校・中学校であれば、算数・国語・理科・社会・英語を思い浮かべるのかな。

算数・数学なら、
意味の分からない計算問題や文章問題、
ときには既に証明されているはずの数式を「証明しなさい」なんていう問題…
「これら、実際に大人になって使う?」と思うでしょう。

国語なら、
普段は使わない漢字、勝手にテーマを決められた作文
「作者の考えを20字以内で示しなさい」という現代文…
「本なら好きなものを読みたいし、しっかり日本語を話せるんだから、今更 国語なんて必要?」
と感じるかもしれません。

理科なら、
「電気の仕組みや磁石の力?」「植物の生長?」…
仕組みを知らなくても、実際にパソコンだって使えるし、
世の中、仕組みが解明されていないものでも多くのものが利用されているでしょうと思わない?

社会なら、
まず覚えることがたくさん。歴史上の人物なんて興味無いし、
○○制度なんてものは、今は必要ない。
これから知る必要があることが出てきたら、そのたびに検索すればいいでしょう。

英語なら、
別に海外に興味無いし、外国人と話すことも実際に無い。
日本に住んでいるのに、実際に英語なんている?
…と感じるのも当然かもしれません。

・・・
・・・

でもね、「それらのようなことが勉強」と思っていたとしたら、
それは全然違うよ。

たしかに、
学校の勉強は、実際に大人になっても“直接的”に使わないものがほとんどだし、
それらの“知識”は、“直接的”に“幸せ”には結びつかない。

でも、

君たちが求める“幸せ”の“本当の意味”で得るためには、
それ相応の力がどうしても必要。

その「それ相応の力」とは、大別すると、

1.頭の力
2.体の力
3.心の力
4.運の力

の4つです。

この4つが合わさって、初めて、
誰かを喜ばす力、誰かを救う力、
喜びを感じる力、自分も含めた皆で楽しむ力が生まれます。

それらの力を養うためには、
どうしても「訓練」が必要。

その「訓練材料」としては、実際は何でもよいし、
算数・国語・理科・社会・英語を通じても効果的だと思います。

算数なら、
計算が出来たり数式を覚えたりすることではなく、
「単純な作業を効率よくこなす」ための練習材料
「1つのことに対して考え続ける力を養う」ための訓練材料

国語なら、
ただ文章を読んだり書いたりするのではなく、
「相手が求めていることを理解する」ための練習材料
「どのようにしたら自分の考えを上手に伝えられるか」の練習材料

理科なら、
ただ物事の仕組みを知るようなことだけでなく、
「物事の本質に着目することが重要」であることの気づきのチャンス
「文明や生物などに対する感謝」の感性を養うチャンス

社会なら、
記憶をする力や、それを結びつける力、
それらを使って何かに活かす力を養うための練習材料

そして、何より、全て、

「嫌いなものの中でも、好きな部分を見つけて、それを楽しむ力」

が養われると思います。

(だから、嫌いなものが見つかれば、
それを利用して大事な力を身につけるチャンス)

・・・このように考えて向き合ってみたら、

必然的に、

1.頭の力
2.体の力
3.心の力
4.運の力

の4つの大事な力が大きくなります。

そして、それらの力がある程度高まれば、

「どんな環境でも“幸せ”や“楽しさ”を自らが築ける」ようになり、

すなわちそれは、自分や自分の周りの幸せとなるはずです。

・・・

せっかく、この星に、この国に、この時代に、この環境で生まれてきたのだから、

この条件・ルールの上で、思いっきり「人生というゲーム」を楽しむために、

「レベル上げ」も時には考えてみよう。